MANGA_A

 >>BACK 



人名事典

 重要度は高等学校の歴史教育における重要ポイントの目安として乗せてみました。ここでいう教科書は山川出版社の2002年度版の「詳説 世界史」を参考にしています。

 重要度:☆☆☆☆☆   教科書に太字で記述されている人物。
 重要度:☆☆☆☆    教科書に記述されている人物。
 重要度:☆☆☆      教科書の欄外、資料集に記述されている人物。
 重要度:☆☆        資料集などにも滅多に登場しない歴史上の人物。
 重要度:☆         歴史には登場しない作品の中だけの架空のキャラクター。



アガタ・マレー (Agata) (生没年不明)
  重要度:☆
 (ピルグリム・イエーガーより)

 カタリナ・ヴァレンティノの部下で、エステ家に忠誠を誓う女騎士。
 信仰の平和のために、終わりの無い争乱に身を投じることを誓願した「争いの修道女」。



アグリッパ (1486〜1535)
  重要度:☆☆
 (ピルグリム・イエーガーより)

 ルネサンス期最大の錬金術師、魔術師、医者。皇帝マクシミリアン一世、サヴォイア家に仕えた。
 その著書に、『オカルト哲学』全3巻、、『科学と芸術の虚栄について』などがある。



アグリッピナ (Agrippina) (16〜59)
  重要度:☆☆
(拳闘暗黒伝セスタスより)

 3代皇帝カリグラの実の妹で、5代皇帝ネロの母親。
 68年実子ネロにより暗殺される。ネロと近親相姦をしたという話もあり、ネロが暗殺したのはこれが原因ともいわれている。アグリッピーナコンプレックスの語源。



アステュアゲス (Astuages) (位前585〜前550)
  重要度:☆☆
(ヒストリエより)
 
 メディア王国最後の王。暴君的な降るまいが多く、その結果、国力を衰退させる。
 アケメネス朝ペルシアのキュロス2世により、国を滅ぼされることになる。



アリストテレス (Aristoteles) (前384〜前322)
  重要度:☆☆☆☆☆
(ヒストリエより)
 
 プラトンの弟子にして、古代最大の総合的哲学者。「万学の祖」とも呼ばれる
 その学説は中世スコラ哲学にも影響を与えた。またアレクサンドロス大王の家庭教師であったことでも知られている。
 前323年母方の故郷であるカルキスで病に倒れ、前322年に死亡した。



アルキメデス (Archimedes) (前287頃〜前212)
  重要度:☆☆☆☆☆
(ヘウレーカより)
 
 アルキメデスの原理等、数学・物理学の諸原理を発見した、ヘレニズム時代の天才。
 第二次ポエニ戦争でシラクサがハンニバル側に味方したため、ローマ軍に包囲されたときには数々の発明品でローマを苦しめた。。シラクサ陥落の際、ローマ側の将軍マルケルスは「決してアルキメデスを殺すな」と命令を下していたが、地面に図形を描いていたアルキメデスは、それを踏みつけた兵士に反抗し殺害された。



アレクサンドル1世 (Aleksandr T) (1777〜1825) (位1801〜1825)

  重要度:☆☆☆☆
(女帝エカテリーナより)

 ロシアの皇帝。父であるパーヴェル1世暗殺後帝位を継承1する。
 1815年には神聖同盟を提唱。これには、イギリス・トルコ・ローマ教皇の除く国家が加盟する。
 また、イギリス・プロイセン・オーストリアと四国同盟を結ぶなど、外交手腕を発揮。キリスト教倫理観に基づく神聖同盟を結成してヨーロッパ諸国のあらゆる自由主義運動や国民主義運動の弾圧に協力した。
 青年期まで受けた啓蒙主義教育の影響もあり、複雑怪奇な性格の持ち主とされ、矛盾に充ちていたと言われる。



アレッサンドロ・デ・メディチ (1511〜1537)
  重要度:☆☆☆
(ピルグリム・イエーガーより)

 ウルビーノ公ロレンツォの嫡子とされるが、その出自は不明。
 教皇クレメンス7世(ジューリオ・デ・メディチ)の子という説が有力。
 クレメンス7世の死後は専制的な振るまいが目立つようになり、1537年、ロレンツィーノ・デ・メディチに暗殺されてしまった。



アンケセナーメン (前14世紀中頃)
  重要度:☆☆☆
(アトンの娘より)
 
 アメンヘテプ4世と王妃ネフェルテイテイの三女として生まれる。
 12才の時、父であるアメンヘテプ4世と結婚。その死後、ツタンカーメンと結婚する。
 若くしてツタンカーメンが死ぬと、自分より40歳以上の大臣、アイと結婚。その死後は消息不明となる。
 運命にに翻弄された悲運の女性。最後は亡き夫ツタンカーメンをしのびながらひっそりと生活したとも言われる。



アンティゴノス (Antigonos) (前382〜前301)
  重要度:☆☆☆
(ヒストリエより)

 古代マケドニアのフィリッポス2世、アレクサンダー大王に仕えた将軍。
 ディアドコイ(後継者)戦争では、親友であるエウメネス相手に勝利し、アンティゴノス朝マケドニアの祖となる。



アンドロポフ (Yurii Vladimirovich Andropov) (1914〜1984)
  FILE0007.JPG - 9,104BYTES重要度:☆☆☆☆
(パイナップルARMYより)

 1967年に国家保安委員会(KGB)議長に就任し、以後15年同職を務め、ソルジェニーツィンの国外追放やアンドレイ・サハロフをゴーリキーに流刑にするなど反対派の弾圧に辣腕を振るった。
 1982年に書記長就任すると、綱紀粛正と経済再建のための労働規律強化に着手、デタントの再構築、若手のゴルバチョフやルイシコフを当用するなど、ペレストロイカへの道筋をつけるも、1984年に急逝した。



イグナティウス・ロヨラ (Ignatius Loyola) (1491頃〜1556)
  重要度:☆☆☆☆☆
(ピルグリム・イエーガーより)

 ロヨラ城主で、もとは騎士。カスティーリャ王国に仕えていた。
 1534年、教皇許可を受けのフランシスコ・ザビエルらと共にイエズス会を結成。
 厳格な規律と組織のもと、ヨーロッパ内外で積極的な布教活動を繰り広げ、カトリック教会の勢力挽回に貢献した。



インディラ・ガンディー (Indira Gandhi) (1917〜1987)
  重要度:☆☆☆☆
(パイナップルARMYより)

 父ネルーが1964年に死去すると、与党であるインド国民会議から出馬し、国会議員となる。
 1966年には首相に就任、在任中は強権的な政治手法を取ることが多かった。
 1984年、シク教徒の警護警官により銃撃を受け死亡する。



エウメネス (Eumenes) (前362年頃〜前316年)
  重要度:☆☆
(ヒストリエより)
 
 都市国家カルディアに生まれる。その出自は不明。
 フィリッポス2世及びアレクサンドロス大王に書記として仕え、その後、騎兵の指揮官にも就任した。
 大王の死後はカッパドキア地方の長官に就任。ディアドコイ戦争でアンティゴノスに破れ死亡する。



エカチェリーナ2世 (Ekaterina U) (1729〜1796) (位1762〜1796)
  重要度:☆☆☆☆☆
(女帝エカテリーナより)

 ロシアの勢力拡大に貢献した女帝。多数の愛人を抱えていたことでも知られる。
 クリミア半島をトルコから奪い、東はオホーツク海まで進出、ポーランド分割など国土の拡大に成功し、日本にも使節ラスクマンを送る。1780年にはアメリカ独立戦争に際し、アメリカへの輸出を推進、武装中立同盟を結束する。
 当初は啓蒙専制君主として改革を試みるも、晩年は農奴制の強化、自由主義を弾圧など専制政治の色を濃くしていった。



エリザヴェータ (Елизавета Петровна) (1709〜1762)
  重要度:☆☆
(女帝エカテリーナより)

  父はピョートル大帝。貴族に担がれ幼児のイヴァン6世を廃して即位した。
 対外積極策を推進し、イギリスやオーストリアと同盟を結び、スウェーデン、ポーランド、オスマン帝国と対立した。
 七年戦争ではベルリンへ侵攻し、プロイセン王国フリードリヒ大王を敗北寸前にまで追込む。
 生涯独身を通し、多くの男性愛人を抱えていたというが、初恋の男性の死を悼み、生涯、喪服で過ごしたという。



オクタヴィア (Octavia)  (40〜62)
  重要度:☆☆
(暗黒拳闘伝セスタスより)

 12歳のときに、5代皇帝ネロの妻となる。
 貞淑な妻としてネロに尽くし、ローマ市民から愛されたが、62年不妊を理由に離婚され、さらに内乱を画策したとして姦通罪でパンダテリア島に幽閉。最期は自殺を強要され死ぬという不遇の人生を送った。